【多様性】多様性の認める矛盾

今では世間一般的に多様性を認めようという風潮が出てきていますよね。

でもそこにガッツリと矛盾点があることに気づけているでしょうか?

多様性を認めるということは様々な考え方を持つ人を一人一人認めていこうというものですよね

普通の人とは違っていそうな考え方でもその人を尊重していこうという考え方です。

大学の授業などでは多様性を認めるべき理由や多様性を認めないことの悪などを学んでいるかと思います。

さてすでにここまでで矛盾点が出てきています。

多様性を認めようとする人ならば”多様性を認めない”という”多様性”を認めるべきなのです。

だって人によって考え方が違うのだから。

男女で分けるべきではない。そう考えてはいけない。その考え方もOKだと思います。

ですが真の多様性を認めるということは男女で分けるべきだという考え方も良しとしなくてはならないのです。

この考え方が今の日本には欠片も見受けられません。

何も多様性を認めていないわけではありません。

多様性を持っていようが持っていまいがどちらもみんな違ってみんないいということです。

カップラーメンの時間だって、三分ちょうどに蓋を開ける人と、ちょうどに食べ始める人と、

三分確実に経ってから食べる人などいろいろいますよね。だけど他の食べ方に文句は言わないはずです。(だってどうでもいいんだから)

より良い食べ方だよということはとてもいいことです。

人間は議論の末賢くなっていき発展したのですから。

ですがこの食べ方じゃないとダメだ、という言い方はおかしそうですよね。

同様に多様性を認めなさいと言っていることは多様性を認めていないことになるので、

そういう人の話はいいところだけを切り取って知識としていきましょう。

ちなみにアニメはあの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない。以外はダメです()

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